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アナキズム文献センター/A4/28ページ
毎年恒例のアナキズム文献センターのカレンダー2018年版は、1918年から1921年にかけて、ボルシェヴィキ(赤軍)・白軍(デニキン軍・ウランゲリ軍)・民族主義者(ペトリューラ軍)といったあらゆる抑圧者に対して、労働者の自由のための闘争を展開した「マフノ叛乱運動」特集。写真や図版はもちろん、マフノ叛乱軍の宣言文やマフノ運動をめぐるテキストなども収録されています。
マフノビチナは、極力反革命や外国の侵入軍と戦ってロシア革命そのものを防護しつつ、同時にまた民衆の上にある革命綱領を強制するいわゆる革命政府とも戦って、あくまでも民衆自身の創造的運動でなければならない社会革命そのものをも防護しようとした。マフノビチナは、まったく自主自治な自由ソヴィエトの平和な組織者であるとともに、その自由を侵そうとするあらゆる敵に対する勇敢なパルチザンであった。そして無政府主義者ネストル・マフノはこのマフノビチナのもっとも有力な代表者であったのだ。
大杉栄「無政府主義将軍 ネストル・マフノ」より
ネストル=イヴァノヴィチ=マフノ
1889年10月27日、ウクライナ南東部のエカチェリノスラフ県アレクサンドロフスク郡グリャイポーレ村に貧農の子として生まれた。牧童や富農の労働者を経て鋳造工となり、1905年の革命で政治に関心を抱く。グリャイポーレでアナキストグループに参加し、逮捕、死刑判決の身となるも、減刑されてモスクワの監獄に収監。アルシノフの協力で読書と学習の毎日。基礎的な知識を集積すると同時に、確信的なアナキストへと変貌した。17年に臨時政府の恩赦で出獄し帰郷、農民組合の結成に着手すると同時に他分野の労働者の糾合を図り、土地を農民へ分与。18年、独自のアナキスト武装組織を編成し、ドイツ占領部隊に抵抗して農民の強い信頼を得たが、次第に外部からのあらゆる武力干渉をも排除するに至り、白軍のみならず赤軍とも対峙する事態に。赤軍への激しい抵抗も根拠地を失い、21年夏、ルーマニア、ポーランドを経てフランスに亡命、同地で没した。
最初に日本でマフノ運動に注目したのは大杉栄。大杉はフランス滞在中にマフノ関係資料を集めることに意を払い、運動がウクライナ農民の本能的な運動であり、本当の意味で社会革命に導こうとしたとして、その意義を評価した。いわば、上からの強権による指導を伴ったボルシェビキの方針とは異なる、下からの内発的革命の萌芽をそこに読み取ったのである。(「日本アナキズム運動人名事典」「マフノ運動史1918-1921」参照)