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高見順 著/共和国/菊変型判/424ページ
アナキズム。テロリズム。エログロ。ファッショ。亜細亜。そして戦争。
躍動する魂。ディープなスラング。
これは前史なのか、あるいは現在の私たちなのか?
関東大震災後、虐殺された大杉栄の復讐に失敗したアナキスト・加柴四郎。「生の拡充」を希求して夜の町を彷徨し、ファシストや軍と結託。韓国や上海での要人暗殺に加担すると、やがて日中戦争へ……。
最後の文士・高見順、畢生の長篇小説に、「北一輝・大魔王観音」「革命的エネルギー」など、スピンオフ3編を併録する。
書き下ろし解説=栗原 康
目次
第Ⅰ部 いやな感じ
第1章
その一 魔窟の女
その二 支那浪人
その三 黄色い血
その四 コップの液体
その五 砂むぐり
その六 思想落後
その七 若い不能
第二章
その一 投爆者
その二 京城の猫
その三 練兵場の犬
その四 枝豆くさい指
その五 暴動計画
その六 豚箱の羅漢
その七 精神的めまい
その八 生への狼狽
第三章
その一 北の果て
その二 雪中放牧
その三 ヨーヨーの頃
その四 走狗
その五 戦争好き
その六 銃殺前後
第四章
その一 痛快な破壊
その二 公然の暗殺
その三 悪時代
その四 保険的背心
その五 二挺の匣槍
その六 過去の中の現実
その七 いやな感じ
第2部 エッセイ/短篇
「いやな感じ」を終って
革命的エネルギー――アナーキズムへの過小評価
大魔王観音――北一輝
解説:いい感じ 栗原康
解題:『いやな感じ』とその周辺
前書きなど
《一体全体これはどういうことだったのか。俺はこのときすでに気が変になっていたのか。
まだ俺はこのときは正気だった。でも、志奈子、丸万、百成の死を聞いて、俺はたしかに逆上はしていた。しかし逆上だけでこんなことができたとは思えない。
砂馬を殺せなかった腹癒せに、こんなことをしようとしたのか。砂馬の埋めあわせだったら、砂馬と同じ日本人をバラしたらいいんで、何も中国人を殺そうとしなくてもいい。
死んだ慷堂は俺が張継に似ていると言った。中国人に似ていると言われた俺が、中国人を虐殺しようとしている。俺にとって何の怨みもない中国人の生命をむざんに絶とうとしている。
生命の躍動に感激し、生命に何か感謝したい気持だったあの俺が、これはどうしたことか。いや、矛盾ではなく、あれの延長にほかならないのだ。
根っからのアナーキストだと玉塚から言われた俺は、大杉栄が言った、われらの反逆は生の拡充なのだという言葉を改めて思い出させられた。生の拡充、生命の燃焼を俺は欲した。俺にとってこの恥ずべき愚行――愚行なんて言葉ですまされるものではないが、これは正に生命の燃焼なのだった。
革命的情熱の燃焼とは生命の燃焼にほかならないと、往年の俺は信じていた。中国人の虐殺が、俺にとっては生命の燃焼、すなわち革命的情熱の燃焼にほかならないとなったのは、思えば、ああ、なんたることだろう。あの根室であんなに俺は、平凡に生きようと考えたのに、しょせん、平凡な生活者になれなかった俺にとって、これが生の拡充だったとは……。
ここで俺はふたたび――なんでこんなことをしゃべっているのだろうと、みずからに問わねばならぬ。
懺悔ではないとすでに言った。テロリストのなれの果て、悲惨なその最後の姿を人に示そうというのか。わが数奇な運命を、諸君、平凡な生活者に語りたかったのか。
どっこい、平凡な生活者の生活のほうが、ほんとはもっとむごたらしいのだ。》
――本文より
《ニヒルをこじらせるな、つきぬけろ。ニヒルでありつづけるってことは、自分のなかにめばえてしまった根拠をたえず無に帰してやるということだ、ただしいよりどころをぶちこわしてやるってことだ。ほんとうのところ、大杉がいっていた生の拡充って、そういうものなんだよね。たとえブルジョアをぶちのめすためだからといったって、そのために強力な労働組合が必要だ、そんでもってその指導者には絶対服従だ、それはただしいことをやろうとしているんだからあたりまえだとかいいはじめたら、あたらしい支配がたっているだけのことだからね。けっきょく主人になるか、その奴隷になるかどっちかだ。
だから、ほんのチョビッとでも自分のなかに、自分たちのなかに、これこれこうするのがあたりまえだ、ただしいことなんだってのがめばえたら、いつでもそれをぶちこわしてやる、そんなもんなしでもやっていけるぞっていう力をしめしてみせる、それがだいじなんだ。自分で自分をぶっこわせ。主人でもなく奴隷でもなく。なんどぶっこわれたっていい。なんどでもなんどでもあたらしい生をつかみとっていけ、まだみぬ生のさけびに身をゆだねていけ。それが生の拡充だ。》
――栗原康「解説」より
高見 順 (タカミ ジュン)
1907年、福井県に生まれ、1965年、千葉県に没する。小説家、詩人。
本名、高間芳雄。
高校時代にダダイズムの影響を受け、東京帝国大学文学部時代にはプロレタリア文学運動に加わる。
1935年、『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補。1941年、陸軍報道班員としてビルマに徴用。戦後も、小説、エッセイ、詩とジャンルを問わず活躍した。
主な作品に、『如何なる星の下に』(人民社、1936)、『昭和文学盛衰史』(文藝春秋新社、1958)、『激流』(第一部、岩波書店、1963)をはじめ多数。
ほかに『高見順日記』(正続17巻)、『高見順全集』(全20巻)がある。