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船本洲治 著/共和国/四六判/376ページ
1975年6月、沖縄米軍嘉手納基地第2ゲート前で「皇太子訪沖阻止」を叫び、《流動的下層労働者》の解放を確信して、炎に身をつつんだ船本洲治。享年29。
山谷/釜ヶ崎の闘いを駆け抜けた鮮烈なことばが、資本の暴力に包囲されたわたしたちの現在を揺さぶり、震わせる。新発見の論考、エッセイ、写真などを収録した《決定版》。
書き下ろし解説=中山幸雄、原口剛
目次
序 船本洲治、解放の思想と実践(原口剛)
*
自己のおかれた情況を武器にして、人民に奉仕しよう
Ⅰ 山谷はくそつぼか?! 1968-1971
山谷解放闘争の総括と現局面
自己批判と闘いの開始の意味をこめて
全ての精神「異常」者ならびに「犯罪」者は、S闘争支援共闘会議に結集せよ!
『裸賊』より(詩9篇+第4号巻頭言+第6号編集後記)
Ⅱ 自己の抑圧された情況そのものを武器に転化せよ! 1972-1973
山谷・釜ヶ崎を軸とする都市人民戦争を闘いぬこう!
釜ヶ崎労働者の闘いを見殺しにするな
持久戦を闘いぬく組織体制を確立するために
怨念と屈辱の生活の総体を熱いダイナマイトにかえて敵のドテッパラにぶちこめ!
七二年夏、おれたちは何を獲得したか? 七二年冬、何を守らねばならないか?
釜ヶ崎解放闘争の主要な課題
Ⅲ 政治は人々を崇高にし醜悪にもする 1973
鹿島建設は戦前・戦中タコ部屋だった!
敵はある意図をもって釜ヶ崎を……
「朝鮮人・中国人は殺したってかまわない」
現闘委の任務を立派に遂行するために
暴動は下層労働者の自己表現
政治は人々を崇高にし醜悪にもする
『旅友』発刊に向けて
Ⅳ 人民、ただ人民のみが歴史を動かす原動力である! 1974-1975
釜ヶ崎の闘う仲間たちへ
山谷解放委に反論する
人民、ただ人民のみが歴史を動かす原動力である!
魔女狩りに関する若干の考察
世界反革命勢力の後方を世界革命戦争の前線へ転化せよ
解題
◎資料
山谷解放委員会 一九六八年十月綱領
船本洲治同志を追悼する(釜共闘・現闘委)
船本の屍に様をみて(岩田秀一)
F6・25の思想性(山岡強一)
船本洲治略年譜 1945-1975
解説 船本洲治とともに半世紀を生きて(中山幸雄)
編集後記
船本洲治 (フナモト シュウジ)
1945年、満洲国に生まれ、広島で育ち、1975年、沖縄に焼身決起する。享年29。
広島大学理学部物理学科を除籍後、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎で寄せ場解放闘争に身を投じる。その生と死は、いまも多くの人びとに影響を与え続けている。
共著に『やられたらやりかえせ』(田畑書店、1974)、没後の著書に、本書の旧版『黙って野たれ死ぬな――船本洲治遺稿集』(れんが書房新社、1985)がある。