在庫状態 : 売り切れ
アナキズム文献センター/A4/28ページ
山鹿泰治は1892年(明治25年)、京都で最初の印刷所点林堂の12子として生まれました。1907年に上京、植字工として働く傍らエスペラントを学 び、大杉栄との出会いからアナキズム運動へと飛び込んでいきます。エスペラントによって海外のアナキストと通信を重ねた山鹿は上海へと渡り、アナキスト・ 師復とともに秘密出版を行うなど交流を深めていきました。大杉のアナキスト・インター出席の際は北京にて渡欧旅券調達に尽力、大杉らの虐殺がおこるとエス ペラント通信でその詳細を世界各国へと送りました。その後は台湾・高雄、フィリピン・マニラへと移り住み、海外との通信を継続しながら、私家版『世界語老 子』(100冊)を印刷・発行。戦後は戦争抵抗者インター(WRI)などに尽力、68歳にしてインド・WRI世界大会に参加し、その晩年まで国境を越えた 交流に努めました。
このカレンダーでは、アナキズム文献センターが所蔵する関連資料や写真のほか、生来の科学心・冒険心のもちぬしであった山鹿の漫画やスケッチ、またDIY精神溢れる『ノート』などをご紹介しています。
神にもよらず,国家もなく,我らのことは我ら自身で決すべし
戦前・戦中・戦後と国境を越えた連帯を続け、エスペラント、アナキズム、そしてDIYを実践した山鹿泰治という人の軌跡/一庶民の生きざまを、このカレンダーを通して少しでも垣間みて頂ければさいわいです。