新空位時代の政治哲学 クロニクル 2015-2023

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新空位時代の政治哲学 クロニクル 2015-2023  (4562)

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廣瀬純著/共和国/菊変型判 並製/368ページ

 

いま、世界で何が起こっているのか? 新たな蜂起へといざなう8年の記録。

新自由主義の台頭、進行する差別と階級格差、さらなる帝国主義戦争の開始……。もはや後戻り不可能なまでに変貌する世界史的動向を、状況分析やインタビューなどの方法を駆使して定点観測。〈政治哲学〉不在のこの日本をどう考えればよいのか? 世界を読みとき、蜂起へとうながす『週刊金曜日』8年の連載を待望の単行本化。

 

目次

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2015
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「迫害」とは何だったのか──「ベルリンの壁」から「エヴロスの壁」へ
「レント資本主義」とは何か──ネット企業とその「小作人」
国民投票とクーデタ──トロイカとギリシャ、安倍政権と沖縄
民主主義は脱出とともに実践される──15M運動/シンダグマ運動
民衆運動の共和主義的転回について──安保反対運動(1)
ポスト産業社会の労働運動へ──安保反対運動(2)
「お前たちの戦争、我々の死者たち」──パリ11・13/マドリード3・11/NY9・11

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2016
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怒りはいかに政治的変革に転じられ得るか──スペイン総選挙、ポデーモス、市民連立
アンダークラスと「階級構成」──六八年、オペライズモ、ポストマルクス主義
ユートピアと土地、領土化とその実験──イスラーム国、ストローブ゠ユイエ、レピュブリック広場
権力と憲法(1)──ミシェル・フーコーの権力論
権力と憲法(2)──ブルジョワ革命は無産者によって遂行された
権力と憲法(3)──運動における言葉と身体
進歩派政権時代の終焉──アルゼンチン、ブラジル、ボリビア、ベネズエラ

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2017
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琉球復国──日本における「国内植民地主義」
欧州統合とその危機──排外主義的「党」への道
「南」としての女性──シルヴィア・フェデリーチ『キャリバンと魔女』
精神分析とその「大義」──抑圧の終焉
戦争と資本──ローザ・ルクセンブルクと帝国主義
社会的生産と金融資本──ハート゠ネグリ『アセンブリ』

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2018
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ウォール・ストリートとラナ・プラザ──金融化、南北関係、ホブスン『帝国主義論』
C・L・R・ジェイムズとは誰か──絶対的先進性は相対的後進性に胚胎する
六八年五月は今日もなお存続している──ドゥルーズ゠ガタリ「六八年五月は起きなかった」
鉄道員、学生、ZADの闘いは「六八年五月」の再来か──フランスで何が起こっているのか
「ポルトガルの奇跡」?──緊縮を逆行させるポルトガル社会党政権
左派政権下ポルトガルでの住宅要求運動──ジョアーナ・ブラーガへのインタヴュー
「ブラジル」と「日本人」──ブラジル日本移民110周年

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2019
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ブラジルに誕生したのはいかなる政権か──立憲クーデタと軍事ファシズム
黄色いベスト運動とは何か──フランスにおける社会運動の歴史的転換
ロボットは労働を雇用から切断する──GAFAM、蓄積なき利潤、労働の不可視化
「プロトコル」と天皇──中心化/脱中心化/分散の並存
マネジメント戦争機械小史──「科学的管理法」から「マネジメント装置」へ
現場での対決なしに社会変革はない──「経済成長」という「幻想」と訣別するために
貿易戦争と所得不平等──二〇〇一年以降の中国とドイツとの類似性
熱い一〇月──「システム」に対する世界同時多発民衆闘争
新たな労働運動としてのフェミニズム──国際女性ストライキ

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2020
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「社会」はいかに誕生したか──個人の「過失」から社会的「リスク」へ
民衆蜂起とポピュリズム──「反システム」の二つの体制
ウィルスとしてのフェミニズム──ベローニカ・ガーゴへのインタヴュー
「イメージ」を解体する「事実」──新自由主義時代のナショナリズム
「経営者マインド」のパンデミック──PCR検査としての東京都知事選挙
創造的破壊としてのCovid-19 危機──緊縮からグリーン・ニューディールへ
「脱家父長制なしに脱植民地はない」──ボリビア先住民女性たちの反採掘主義闘争

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2021
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同性愛者解放運動と革命──ギー・オッカンゲム『ホモセクシュアルな欲望』
ナチズムとマネジメント──運動する生命体、「民族」から「企業」へ
Covid-19を概括する──世界経済再編成と新たな国際主義
「パレスチナはフェミニズムの課題だ」──女性解放なしに祖国解放はない
資本主義社会は「競争社会」ではない──アマゾン社における反トラスト法の逆説
新自由主義はチリで始まり、チリで終わる──民衆蜂起から新憲法制定へ
「本当の労働組合」とは何か──木下武男『労働組合とは何か』
「第三次産業革命」は起こらなかった──経済のディジタル化は「略奪」革命である
長崎浩とは誰か──党から解放された革命としての「叛乱」
「中央銀行ディジタル通貨」とは何か──「通貨発行益」を巡る新旧金融領主間の攻防

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2022
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「労働力商品」から「生身の存在」へ──労働者の権利は労働運動が創出する
ベル・フックスとは誰か──革命闘争としてのフェミニズム
「日本型反差別」はなぜ無力なのか──「被害者の声」を社会的力にするために
「祖国防衛」とは何か──「帝国主義戦争」としてのウクライナ戦争
インターネットは物質からできている──ディジタル技術と環境汚染
対ロシア経済制裁の逆説──米国一極集中から多極分散へ
資本主義を動揺させる「大辞職」──ロックダウン下での知覚の転換
三つの「民主主義」──ディエゴ・ストゥルバルクへのインタヴュー
「市民社会」の叛乱とその敗北──オスカル・アリエル・カベーサスへのインタヴュー
「ジン、ジャン、アザディー」──再開されるイラン革命
「老人ファシズム」の時代──フランコ・ビフォ・ベラルディへのインタヴュー

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2023
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バルセローナのミュニシパリズム──フェラーン・デ・バルガスへのインタヴュー
戦争か、革命か──新たな帝国主義戦争時代の到来
「中国の世紀」とはいかなる時代か──ジョヴァンニ・アリーギの「市場経済」論
ペルーで今、何が起きているのか──全国規模の反「採掘主義」民衆闘争
労働者階級の復活──フランスの年金改革反対運動
チュニジアにおける黒人差別──「革命」に還元された民衆蜂起

あとがき 「おそらく世紀はドゥルーズのそれとなるだろう」

 

廣瀬 純 (ヒロセ ジュン)
1971年、東京都に生まれる。
早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。
パリ第三大学映画視聴覚研究科博士課程中退。現在、龍谷大学経営学部教授。
専門は、映画論、現代思想。
主な著書に、『美味しい料理の哲学』(河出書房新社)、『シネキャピタル』(洛北出版)、『アントーニオ・ネグリ 革命の哲学』(青土社)、『暴力階級とは何か』(航思社)、¿Cómo imponer un límite absoluto al capitalismo? Filosofía política de Deleuse y Guattari (Tinta Limón, 2021)ほかがある。

 

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