新編 大杉栄追想

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新編 大杉栄追想  (2931)

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山川均、村木源次郎、和田久太郎、賀川豊彦、内田魯庵、土岐善麿、近藤憲二、ほか著/土曜社/ペーパーバック判/184ページ

 

お互いがウンとわがままになればいいんだ

1923年9月――、関東大震災直後、戒厳令下の帝都東京。「主義者暴動」の流言が飛び、実行される陸軍の白色テロ。真相究明を求める大川周明ら左右両翼の思想家たち。社屋を失い、山本実彦社長宅に移した「改造」臨時編集部に、大正一級の言論人、仇討ちを胸に秘める同志らが寄せる、享年38歳の革命児・大杉栄への、胸を打つ鎮魂の書!

 

も く じ

1 大杉君と最後に会うた時/山川均

2 ドン底時代の彼/村木源次郎

3 かたみの灰皿を前に/安成二郎

4 外二名及大杉君の思出/山崎今朝弥

5 無鉄砲、強情/和田久太郎

6 可愛い男大杉栄 悪口云われても悪い気はしない/賀川豊彦

7 飯の喰えない奴/岩佐作太郎

8 小児のような男/堀保子

9 第三者から見た大杉/内田魯庵

10 殺さるる前日の大杉君夫妻/松下芳男

11 印象二三/土岐善麿

12 大杉君の半面/近藤憲二

13 善き人なりし大杉君/馬場孤蝶

14 追憶断片/宮島資夫

15 回  顧/有島生馬

16 一等俳優/久米正雄

解  説/大杉豊

 

著 者 略 歴

山川均 〈やまかわ・ひとし〉1880〜1958年

倉敷市生まれ。明治から昭和にかけての社会主義運動者。第1次共産党結成に参加。のちに労農派を形成して共産党と対抗、労農派マルクス主義の理論的支柱となる。31年以後は専ら評論活動。戦後は社会主義協会を結成し、左派社会党を支援した。

村木源次郎 〈むらき・げんじろう〉1890〜1925年

横浜市生まれ。04年、横浜平民結社(のち曙会)結成に参加。赤旗事件で入獄後、アナキズム運動者に。17年、大杉栄の家に同居、以後も機関誌発行等に助力する。大杉虐殺の翌年、和田久太郎と震災時の戒厳司令官・福田雅太郎の暗殺をはかるが失敗。

安成二郎 〈やすなり・じろう〉1886〜1974年

秋田県阿仁町生まれ。大杉らの『近代思想』編集に参画。生活派短歌の歌人として知られる一方、『実業之世界』編集長、読売新聞婦人部長を務める。平凡社勤務の後『大陸新報』にコラム、社説執筆。晩年、大杉栄の回想録『無政府地獄』を出版。

山崎今朝弥 〈やまざき・けさや〉1877〜1954年

長野県岡谷市生まれ。03年に渡米し幸徳秋水らと知りあう。弁護士となり、社会運動者を支援。社会主義同盟の結成に尽力、自由法曹団の主要活動家で、戦後は顧問に。著書に『弁護士大安売』、『地震憲兵火事巡査』など。

和田久太郎 〈わだ・きゅうたろう〉1893〜1928年

兵庫県明石市生まれ。12歳で大阪に出て、丁稚奉公。上京し、売文社に入社後、アナキズム運動に参加。久板卯之助とともに『労働新聞』を発行。大杉らと『労働運動』刊行に活躍。大杉ら虐殺の復讐に福田雅太郎を狙撃するが失敗。秋田刑務所で縊死。

賀川豊彦 〈かがわ・とよひこ〉1888〜1960年

神戸市生まれ。米国プリンストン大学、同神学校に留学。帰国後、友愛会に参加、関西労働同盟会理事長となり、労働運動に活躍。やがて生活協同組合運動、農民運動に転じ、戦後は社会党結成に参加。著書『死線を越えて』は大正期のベストセラー。

岩佐作太郎 〈いわさ・さくたろう〉1879〜1967年

千葉県長南町生まれ。01年渡米、在米13年の間にアナキズム運動に従事。帰国後、19年に上京し、大杉らの同志集会に参加。「演説会もらい」闘争や農民運動に奮闘。46年、日本アナキスト連盟全国委員長となる。著書に『革命断想』など。

堀保子 〈ほり・やすこ〉1879〜1924年

茨城県下館市生まれ。堺利彦の先妻・美知子の妹。06年に結婚して以来、大杉を支えたが、16年3月に別居、12月、正式に離婚した。大杉の死の翌年3月、あとを追うように病没。

内田魯庵 〈うちだ・ろあん〉1868〜1929年

東京都台東区生まれ。小説家デビューののち、『罪と罰』などの翻訳も刊行、評論家としても活躍する。01年、丸善書籍部門の顧問になり、同社のPR誌『學鐙』の編集に晩年まで携わる。『思い出す人々』(岩波文庫)に「最後の大杉」収載。

松下芳男 〈まつした・よしお〉1892〜1983年

新潟県新発田市生まれ。陸軍士官学校を卒業し、弘前連隊で中尉のとき、社会主義思想を抱いていると停職処分を受け退役。のち軍事評論家に。戦後は工学院大学教授となる。著書に『三代反戦運動史』ほか軍制史関係多数。

土岐善麿 〈とき・ぜんまろ〉1885〜1980年

東京都台東区生まれ。早稲田大学で回覧雑誌『北斗』同人となり短歌に精進、石川啄木と交友。大杉と知り、『近代思想』に寄稿する一方、雑誌『生活と芸術』を刊行。読売新聞社会部長から、朝日新聞に転じ、40年に退社。戦後、再び作歌に励み、早大教授、国語審議会会長。

近藤憲二 〈こんどう・けんじ〉1895〜1969年

兵庫県市島町生まれ。早大在学中、大杉らの平民講演会に参加、のち売文社に入社。3次にわたる『労働運動』刊行に尽力。大杉死後も第4次『労働運動』を発行するなどアナキズム運動を継続。『大杉栄全集』を安成とともに編纂。戦後、アナキスト連盟の書記長に就任。

馬場孤蝶 〈ばば・こちょう〉1869〜1940年

高知市生まれ。『文学界』同人として創作を始め、翻訳や「閨秀文学会」などにも活躍。慶大教授となり英文学を教える。大杉らの『近代思想』小集に正客として出席、運動に理解を示す。著作家協会など著作家の権利擁護にも努力。文芸評論や随筆集など著書が多数ある。

宮島資夫 〈みやじま・すけお〉1886〜1951年

東京都新宿区生まれ。10代のうち、種々の職業を転々としたが、14年、露店で買った『近代思想』から大杉らの同志例会に参加、アナキズム思想に共鳴する。16年、大正労働文学の佳作『坑夫』を刊行。葉山日蔭茶屋事件を機に大杉らから離反。のち文学からも離れて仏門に入る。

有島生馬 〈ありしま・いくま〉1882〜1974年

横浜市生まれ。洋行5年の間に伊・仏で美術を学び、セザンヌに傾倒する。帰国後『白樺』の同人となり、創作集『蝙蝠の如く』などを発表。14年、二科会を創立。大正期後半から次第に画業に専念。64年、文化功労者になる。兄の有島武郎、弟・里見弴も大杉と交際がある。

久米正雄 〈くめ・まさお〉1891〜1952年

長野県上田市生まれ。一高で同期の芥川龍之介、菊池寛らと第3・4次『新思潮』を発刊。夏目漱石の長女・筆子への失恋体験をもとに作品を多く発表し、人気作家に。新聞小説も「蛍草」ほか多作で、通俗小説の大家となる。戦中は文学報国会の事務局長。戦後、文芸雑誌『人間』を創刊。

 

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