声のために

3290

声のために  (3290)

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マヤコフスキー著 リシツキー構成/土曜社/四六判/64頁(ロシア語)

 

「詩とタイポグラフィを同等に扱い、一体にしようと試みた」とリシツキーの語るように、大胆な組版で視覚化されたマヤコフスキーの詩篇が読み手に大音声の音読をせまる。1923年春ベルリンで世に出た、タイポグラフィ史上に輝く傑作の復刻ファクシミリ版。国立マヤコフスキー博物館協力。

 

わがマヤコも賛成してくれた

 1922年も終盤、マヤコフスキーが飛行機でベルリンにやって来るという。いかにもマヤコフスキーらしい――彼は常に最新の交通手段を選ぶのだ。会うなり詩人は、国立出版所から出るはずの、ある出版計画を明かした。当時、モスクワの国立出版所はベルリンにも事務所を置いていたのである。聞けば、イラストレーターたる私が本の装丁を手がけ、著者は彼、編集はリーリャ・ブリークが担当するという。

 私たちは、13の詩篇を選び出した。大声で読むための本である。目当ての作品が即座に見つかるよう、爪掛け式の索引方法(アルファベット順の)を思いついた。わがマヤコも賛成してくれた。

エル・リシツキー(装丁家)

 

著 者 略 歴

ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉たちとモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。13年、戯曲『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』を自身の演出・主演で上演。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも結局、ペトログラード陸軍自動車学校に徴用。戦中に長詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』『戦争と世界』『人間』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、叙事詩『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を諷刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。

 

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