1960年代——ダダカンと儀式屋たちの時代

【概要】
1960年代において、ネオ・ダダ、犯罪者同盟、アンビートらと接触し、「読売アンデパンダン」「英雄たちの大集会」などの戦後美術史上重要な出来事(イヴェント)に参加、敗戦後日本の復興を象徴する東京オリンピック、大阪万博に舞い降りた前衛・ダダカンこと糸井貫二。本展は、何ものにも束縛されない絶対的“自由”を希求する人・ダダカンの姿を、関係者へのインタビュー映像やダダカンの生活した仙台を中心とするローカル・アーカイヴの資料によって紹介する。また、「儀式」と称したパフォーマンスを展開し、ダダカンとともに活動したゼロ次元、クロハタ、告陰ら前衛芸術家たちの足跡と地域を横断した人的ネットワークを、記録写真や資料、当時の書籍などから捉えていく。

https://1960dadakan.wordpress.com


【展示期間】
2021年12月14日(火)−21日(火) 13時から19時まで
15日(水)、20日(月)は休み。

【入場料】
500円


【会場】
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
東京都新宿区新宿1-30-12-302
Tel: 03-3352-6916
E-mail: info@ira.tokyo
Web: ira.tokyo

《故由比忠之進追悼国民儀 1967年12月1日》写真:平田実、提供:HM Archive, amanaTIGP

【ギャラリー・トーク】
中西レモン(アーティスト)、細谷修平(美術・メディア研究)
12月17日(金)18時(予約制、問い合わせは会場まで)定員に達したため予約の受付終了しました(12/17更新)
※最新情報はウェブサイト、SNSにて。


【主催】
一般社団法人NOOK

【共催】
ダダカン連

【協力】
糸井貫二、糸井義朗、ゼロ次元・加藤好弘アーカイヴ、羽永光利プロジェクト実行委員会、HM Archive、アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス、S.I.G.、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ


ダダカンこと糸井貫二氏 鬼放舎にて(2008年)

糸井貫二(ダダカン)
1920年東京生まれ。10歳の頃に叔父からダダイズムの話を聞き興味をもつ。戦時中は徴用により筑豊で坑内採炭に従事。1945年、熊本特車部隊に入隊し、鹿児島で終戦を迎える。中学時代から器械体操部に所属し、戦後の第1回国民体育大会に出場。その後九州の炭鉱や東京の倉庫会社に作業員として勤務しながら独学で作品を制作し、1951年に銀座フォルムで初個展を開催。同年の第3回読売アンデパンダン展に《たまご》(彫刻)を出品。1952年に両親が住む仙台に移住するが、54年には東京都大森に転居。以後、仙台と東京、父母の故郷である大分県を拠点として活動する。1958年、第10回読売アンデパンダン展に出品。以後同展には最後の15回展まで毎回出品(ただし14回展は作品が撤去される)。1960年代に入ってからは、造形作品だけでなく、行為としての芸術「ハプニング」(パフォーマンス)を各地の前衛芸術家たちと展開、その名を”ダダカン”として知られるようになる。1963年に仙台に戻り、同年日立ファミリーセンターで個展。1964年仙台アンデパンダン展に出品。同年東京オリンピックの聖火があまりにも美しかったため、「聖火体現」として聖火より早く銀座を全裸独走。1967年仙台の野外展「西公園アートフェスティバル」に参加。この頃、仙台市内のコニシリビング、フジヤ画廊などの展覧会場や市役所前広場、ドント祭、一番町歩行者天国など各所でハプニング行為を行う。1970年4月、「太陽の塔」を占拠した男の新聞記事を読み、彼を激励するため大阪万博に向かい、万博会場を全裸で15メートル疾走。その後、母の介護のために仙台を離れるが、1979年に仙台に戻り、1980年代以降は自宅「鬼放舎」を拠点に表現活動を続ける。