国家をもたぬよう社会は努めてきた クラストルは語る

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国家をもたぬよう社会は努めてきた クラストルは語る  (4219)

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ピエール・クラストル著 酒井隆史訳/洛北出版/四六判 並製/272頁

 

はじめてのクラストル

「国家なき社会」は、なぜ「国家なき社会」なのか。それは、その社会が「国家に抗する社会」だからである。その社会が、国家を忌〔い〕み嫌い、祓い〔はらい〕のけてきたからである。国家という災厄を、封じ込めてきたからである。

つまり政治は、国家以前にも存在するのであって、国家は、政治のとりうる形態のひとつにすぎないのだ。ようするに国家は、クラストルによって、その玉座〔ぎょくざ〕から転げ落ちたのだ。

ピエール・クラストルの『グアヤキ年代記』に感銘をうけ、英語に翻訳して序文まで書いたのが、若き日の小説家ポール・オースターだった(Chronicle of the Guayaki Indians, 1998)。

「〔『グアヤキ年代記』の〕何の気取りもない直截さ、人間らしさに私は打たれた。……自分がこれからずっと追いつづけるにちがいない書き手に出会ったことを確信した。……この本を好きにならないのはほとんど不可能だと思う。じっくり丹念に練られた文章、鋭利な観察眼、ユーモア、強靱な知性、対象に注がれた共感、それらすべてがたがいに補強しあって、重要な、記憶に残る書物を作り上げている……彼〔クラストル〕はめったにいない、一人称で語ることを恐れぬ学者である。」
  〔『トゥルー・ストーリーズ』、柴田元幸 訳、新潮文庫、298-307頁〕

ピエール・クラストルは、1934年、パリに生まれた。ソルボンヌ大学でヘーゲルとスピノザを学んだあと、クロード・レヴィ=ストロースの学生として人類学の研究をはじめる。さらにアルフレッド・メトロの指導のもとに南アメリカをフィールドにした政治人類学研究を開始。その後、高等研究院教授となる。しかし1977年7月、その影響力のきわみにあるなか、自動車事故によって他界する。

初期の本格的な論文「交換と権力」の発表からわずか14年あまり。疾風のごとくこの世を駆け抜けていったクラストルは、フィールドとの往復のなかからつむぎだされた著作を残していった。

本書『国家をもたぬよう社会は努めてきた』の「序文」のなかで、フランスの政治哲学者ミゲル・アバンスールは、クラストル以前と以後を分かつポイントを、3つあげている。

〔1〕「なき〔不在〕」から「抗する〔対抗〕」への移行。いわゆる未開社会は、国家なき社会なのであるが、そのゆえんは、欠如や欠損ではなく、国家の拒絶である。したがって、それは「国家なき社会」というよりは「国家に抗する社会」である。

〔2〕威信は与えられているが権力をもたない首長の存在。人々は、首長の言動に目を光らせている。特権への意欲が権力への欲望に転化しないよう、注意を払っているのだ。

〔3〕国家はあらゆる歴史の地平ではない。「国家に抗する社会」から出発して「国家のある社会」を見ていくことが重要になる。

そしてアバンスールは、次のように述べて「序文」を締めくくっている。

「この声に耳をかたむけよう。自由であり、かつ他者の自由を求める、一人の人間の声。アチェの夜の歌に耳をかたむけ、ラ・ボエシやルソーに耳をかたむけ、災厄以前の「あたらしい人間」に耳をかたむける、一人の人間の声。こうした声のすべてが、ピエール・クラストルのユニークな声とからまりあいながら、共鳴している。」

本書は、クラストルへのインタビューを通じて、彼の著作が人文社会科学全般にもたらした強烈なインパクトを紹介している。クラストルの人類学を知りたい人に、うってつけの入門書である。

 

目 次

・ミゲル・アバンスールによる序文「ピエール・クラストルの声」
・ピエール・クラストルへのインタビュー
・訳者による解題「断絶のパッション——ピエール・クラストルとその「事後効果〔アフター・エフェクツ〕」
・索 引/訳者あとがき

 

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